トマトは永遠のライバル

岡山県在住。うどんにコロッケを浮かべて食べています。日常や本、ムービーのことを書いています。

2022年1月28日(金)の頭で考えていたこと

2022年1月28日(金)

 

 いま作っているパンフレットについて頭を動かしていたときに、タイミングよく広告主様からお電話が入り、状況について聞かれたので「進んでますよ…へへっ」と返事をする。今やっている案件のなかではかなり比重をおいて作業をしているのですが、その状況を事務所のみんなにバレたくないので語尾に「へへっ」と言ってしまったのだけど、事務所の人たちも大概自分のことしか考えていないので、そもそもこの電話も誰にも聞かれていなかったはずだと後になって思い至る。

 

そうして広告主様に近況を電話口で報告していたら「ドラフトをメールで送っていただけます?」と言われ「承知しました、このあとすぐに送ります!」と反射的に返事をしたのですが、「ドラフト」と聞いたとき頭に浮かんだのは「野球」と『頭文字D』の二つで、そのあとにドラフト会議とドリフト走行のイメージが頭に浮かび、「ドラフトってどういう意味でしょうか」と質問するタイミングも逃し、そのまま電話が終わってしまいました。

「とにかく現状を教えてね」という広告主様のとても強いメッセージ性だけは伝わったので、原稿をデータ上でまとめている間に「ドラフト」という単語も頭から消えて、原稿を送付したら、3分後に「ドラフトをありがとうございました」というメッセージが返ってきました。

 

 そこで「ドラフト」の単語の存在を思い出して、急いでネット検索をかけたら「草稿」という意味だったので、間違ったメールを送ってなくてよかったー、と一安心。そして「草稿」という言葉を頭のなかで唱えたら、また『頭文字D』の走行場面が頭に思い浮かび、漫画を読みたい気持ちがむくむくと現れました。しかし私は『頭文字D』は本屋さんとガソリンスタンドのタイヤ交換待ちの時にしか読んだことがないので、どうしようもない気持ちのまま仕事を切り上げて「豆腐店」と「コップに入った水」のことを考えながら家に帰りました。

信号待ちにふと思い出したこと。

 数年前に、とつぜん馴染みのない生命保険会社から社用の携帯電話に連絡があったことがある。いわゆるヘッドハンティングのご連絡で、誰からの紹介なのか気になったが、興味本位で説明を受けに行った。その時点で津山に引っ越しています。

 生命保険会社に向いている人の性質、という話をしていたなかで「横断歩道で周囲に誰もいない状況だったとき、平気で赤信号を横断する人は採用しない」ということを仰っていた。ということはルールを守る人ということですか、と聞くと、まあそうかもしれませんね、と含みを持った笑い方をされた。私が赤信号で行儀良く待っていたところを実際に見たのですか、と聞くと、あなたはおそらく立ち止まるでしょう、と言う。「そうだ、あなたが見ていたとしたら、その時点で無人じゃないですね」と答えた。

 車が走行していなければ赤信号でも横断する、ことを選択する。これもう状況だと思うのだが、普段平気で横断している人でも、見知らぬ子どもが一緒に信号待ちしていたら横断しない、という判断をする人もいるのではないかと。ルールを破る大人だと思われたくないことと、真似されないように、とか。赤信号を渡ることを自ら許可するマイルールは人それぞれあると思うが、私は基本的にどんな状況でも立ち止まっているので、生命保険の社員の推測は間違っていない。

 でも走行車もないのに、どうして私は立ち止まっているのだろうと考えることはあって、そのときに意識してしまうのは自分の背中である。横断歩道を渡ろうと考えている自分の姿を背中あたりから見ている者がいる。それは先祖かもしれないし神様かもしれないし、幽霊かもしれないし、仏様かもしれない。そういう姿のみえない存在を意識すると「ここで渡ると、後で悪いことが起きそうな気がする」という考えに行き着く。こういうとき「信仰心」が、身体的にも思考にも深く入り組んでいるのだと感じる。

 この「ちゃんとしないと、なんだか悪いことが起こりそうな気がする」「ばちが当たりそう」という節制は、自分の考え方や身体のみだけで生まれず、かならず「死者・霊」の視線を想像し、自分の考え方に補助線を入れてから生まれる考え方なのではないかと。そう思うと「無信仰者」の存在は限りなく少ないのだろう。無信仰者であれば「悪いことが起こりそうな気がする」という予感自体ないのではないだろうか。

 その生命保険の社員も、もしかしたらそういうことを意識して、そういう言葉を使ったのかもしれない。ヘッドハンティングの話は、三次の面談のアポ調整の時に私がフェードアウトさせてしまった。やっぱり営業に歩合制が合わさったら地獄だと思うのだ。おわり。

2021年9月25日(土)食べられないもの

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津山市にある「美作滝尾駅」。内容に全く関係ありません

 

 タウン誌で地元のパン屋を紹介するページを作りました。
 ふだん営業の仕事をしているので、編集に携わる機会あれば私は尻尾を振りながら前のめりなテンションで取材へ訪問するのですが、今回の内容が「パン」ということで、これ実は大変苦手な内容でした。甘いパンが苦手なことと、マヨネーズが食べられないからです。

 

 甘いパンが苦手というのはそんなに珍しいことではないと思うのですが、消去法で惣菜パンを選ぶようになるとき、マヨネーズが食べられないのでカレーパンとかピロシキくらいしか選択肢がなくなってしまいます。
 サンドイッチとか、食事系サンドとか、見た目が美味しそうだから一度は食べてみたいなと本気で思っているんですけど、具材に白いペーストが大抵入っているので「やっぱりな!」と内心でいじけて店を後にすること多々。今回のパン屋さんはベーグル、クッペ、カンパーニュの紹介が多めだったので本当によかった。かわいいページにできたと思うので、ぜひ手にっといただけたら嬉しいです。

 

 マヨネーズが食べられないのはアレルギーではなく、単純に不味いからです。
 何度か挑戦したことがある。 
 お母さんの料理を見込んでマヨ控えめのポテサラを食べたらダメだった。
 サタスマで美味しそうに容器から直飲みする慎吾ママを見込んで挑戦したこともあるけど、ダメだった。
 CMの福山雅治を見込んでキッシュに挑戦したけれどそれもダメだった。
 こんなクソワガママ味覚に勝手に見込まれていた香取慎吾福山雅治に申し訳ない気もしないでもない。
 でもあの味はやっぱり無理でした。

 

 マヨネーズはあらゆる料理に一見わからなくとも具材のなかに練り込まれていて、それは自分で避けるようにしているので問題ないのですが、お店の定食のサラダにマヨネーズがちょこんとのっているとき、これは避けようがないので、申し訳ないのですが残してしまいます。どうでもいいがセブンイレブンのおにぎりのラインナップが最近マヨネーズに振っている気がする。

 飲食店も優しいので、注文するときに一言伝えるとマヨネーズを抜いてくれるのは本当にありがたいです。
 この関連で大変嬉しかったのは、大学の友だちの結婚式に招待されたとき披露宴の席でマヨネーズを抜いた料理をお出ししてくれたこと、あの心配りは一生忘れません。式場スタッフから「マヨネーズアレルギーと伺っております」と言われたときはウケた。そんなアレルギーない。

 

 今は自炊にマヨネーズは絶対に使ってないけど、マヨ好きな兄と京都で4年間二人暮らしをしていた頃、兄は私の偏食に耐えてくれてたんだな〜と思う。

おわり