トマトは永遠のライバル

岡山県在住。うどんにコロッケを浮かべて食べています。日常や本、ムービーのことを書いています。

2023.04.24(日) 会社の新年の目標達成した話

 会社の会議で今年の目標を発表する機会があって、そのとき私は「推理小説を読む」と答えたところ全員からノーコメントだったわけですが、最近その目標を達成しました。

 外出先で時間があったら本屋でブラブラして本を買うんですけど、当然自分で本を選ぶからどうしても自分好みの本ばかりが本箱に積まれてしまうんですよね。そういうこと気にしてた時期だったんです。ずーっと前「シャーロックホームズ」を読んで「つまらねえな」と投げて以来推理小説は手を付けてなかったので、それをふと思い出して口に出て目標としてみたわけです…。

 名著シャーロックホームズで積んだから日本の推理小説でも読もうかなと思い、それで思い浮かんだのは松本清張でした。一冊も読んだことありませんでした。映画「砂の器」は見て感動したことあるんですが、何度も見るけど話は面白くないし、なんかアッパーで株とコンクリートと鉄の家が好きだけど実のところいろいろ失敗してる偏屈オヤジが好きそうな内容だなって思ってたんですよね。ただの偏見なんですけど。

 しかしどこの本屋に行っても絶対に新潮文庫で並んでいる本なので、ついでに言うとテレビドラマで何度もリメイクされているので、今読んでも面白いのかなぁと、とりあえずタイトルだけは知ってた「ゼロの焦点」と「点と線」を購入して読んでみました。それが大変面白かったのでびっくりしました。

 最初に読み始めた「ゼロの焦点」は出退勤のバスでちまちま読んでました。推理小説って描写を細かく記憶して一緒に推理していくことが醍醐味で、ディテール忘れたら本末転倒かもしれないから家で一気読みしたほうがよいかなとも考えていたのですが、この本はそんな心配もなかった気がします。失踪した夫を探すために新妻が寒い北陸地方を彷徨う話なんですけど、真相にたどり着くまでの描写が、完結だけど何度も繰り返して言葉にされているのが良かった。何回も描写を繰り返すことが妻の思考になっているんでしょうか。

 で、次に読んだ「点と線」は内容が非常に面白くて、今日読み始めてページをめくる手がとまらなくて、お昼ご飯食べるのも忘れて一気に読み終えました。電車の時刻表を巧妙に取り入れたアリバイ工作を潰していく話で、最終的には組織の汚職のところまで描かれる内容ですが、アリバイ工作と汚職の関係がややこしいわけでなく、そのあたりシンプルだったので、推理のほうに振ってくれてる誠実さを感じました。というか汚職は今も昔も変わらないのね…。映画も見てみたいと思います。

 本関連ですが、こんど剣道の先生に「伝記短編集(剣豪)」という非常に謎な本を借りる予定で、次はその本を読むようになりそうです。「(剣豪)」と書かれているので宮本武蔵とか柳生宗矩の伝記かなとふんでるところで「そんなん一体誰が読むんだよ! 誰も読まねーよ! 知らねーッ!」という心情が正直なところですが、剣道の先生が勧めるほどの本であり、貴重な学びがあるはずなので、読んで剣豪になって帰ってこようと思います。

 

 

2023/01/13(金)・14(土)なんで剣道やってるの?の話

2023/01/13(金)
 年始の稽古始めだから絶対に剣道場に行こうと朝から意気込んでいました。なぜかというと全然行けてないから。
 夕方、パソコンを終了してコートを着て「お先でェーす」とカバンを持った瞬間、ちょうど私宛に電話が来て、それが重要事項だったので腰を据えて夢中で話して会社を出たら狙っていたバスが行ってしまいました。一本先のバスで家に帰ったけど、胴着に着替えると練習が終わってしまう時間だったので、せめて見学と挨拶だけでも…と仕事着で道場に行きました。

 岡山市に引っ越してから通っている道場で稽古しているのはおじちゃんばかりです。けれど道場主の先生含めた「おじちゃん」は、すごい経歴の人たちらしく…というか来ている「おじちゃん」は全員指導者なので、先生と先生が稽古しあってそこに大先生が上座で見ているという先生インフレーションが起こっている異世界のため、ただの会社員(雑魚)は立ち入る前から萎縮してしまうんですよ。
 稽古が終わって「先生、今年もよろしくお願いします!」と頭を下げると「長期的にがんばりましょうねー」と言ってくれて、「土曜なら日本剣道型教えられますよ」と心遣いをいただきました。じゃあお願いします…!と、明日の予定が決まりました。

 

2023/01/14(土)
 剣道は高校生の頃「あれッ?」ということが何度もあり、高校二年の冬休み頃に「下手だし死のう」ととっても自然に思っていたことに気がついて退部しました。実家が飛び降りできるマンションでなく田舎の一軒家で良かったと思うのですが、それから「竹刀が重くて持てず、声が出ない」類いの夢を長年見続けていましたけど、偶然、営業先のお客様から剣道の話を聞くうちにやる気になってやっと胴着を着るようになっています。一回稽古したら夢も見なくなりました。


 考えるだけ不毛なのですが、もし高校の頃、高校三年の夏まで部活を頑張って普通に引退していたら、もう一生剣道やらなかったと思います。だって「頑張って苦痛に耐えた、私エラい!」だけの思い出になりますから。「また剣道したいですか?」と聞かれたら「あんなキツいのもうやりませんよ笑」と答えているはず。「弱さと狡さ」を宙ぶらりんにしたまま退部して「自分の弱さってなんだったんだ…?」と一〇年間悶々としていて、そろそろ自分がなぜ弱いのか知っておかんとな、と竹刀を持ち始めることができたんだと思います、たぶん。(もちろん当時の部員と一緒に引退できなかったことに今も引け目はあって、あと当時の関係者や先生には極力会いたくない。)

 

 去年から剣道を少しずつ再開して、先生から「神田サン、ああしなさいこうしなさい」と指導をされて「はいぃっ」と聞いて実践のくり返し。この日は日本剣道型の小太刀をやったのですが(タイマン指導ですごく贅沢)、わけわからないまま身体を動かしたぶんだけ、さっきまでできなかったことが出来ていく不思議さを感じます。最初は「なぜこういう動きになるんですか」と理屈求めがちだったのですが「まァいいからやってみなさいよ」と先生は全然答えてくれないので、わけわからないままやっているのですが、「これをこなしたら、こういう学びがあります」とは違う「何を学んだかは、あとになってわかる」という感覚が楽しいです。たしかに剣道は「これをn回こなせばxキロ痩せます」のような対価型じゃないですよね…、ここに来るまで消費者マインドだったことに気がつかず反省しました。
 ここで「先生」って何度も書いているけど、この年齢になっても先生がいるのも幸運なことだなぁと思います。

「SLAMDUNK」とか最近買った本とか

2022/00/00

 マンガ「SLAMDUNK」の映画が初公開された日。「新作に金を払える喜びを噛み締め、長い間胡座をかいていた膝をパチンと打って腰痛をものともせず立ち上がり映画館へ流れ込む古(イニシエ)のファン達が一体何百万人いるのだろう」と少し遠くから傍観する気持ちでいたけど、これまで4回コミックを買い直して井上雄彦さんの印税に貢献してきた私も例外ではなく、この映画のために2回映画館に足を運んだし3回目に行く予定をたてた。

 映画の一篇はすべて「マンガ」に収まっているようにみえて、OPのドローイングで、この作品は映画ではあるけど前提マンガであることのメッセージだと受け取る。「言葉どおり平面のマンガを立体に近づけて、かつ映像化させてキャラを動かす、これをやろうと思って、本当にやってしまいました」と伝えられたような。そうやって新しい方面での「マンガ」を作ることのできた漫画家は井上雄彦さんの前にはいないのではないだろうか。

 アニメーションの自由な演出でよくある時間を止めたりスローにする箇所は全篇に全くなくて、ある意味ではリアリティな試合を魅せていたけれど、マンガ原作のかい摘んだところにあるユーモアなコマも盛り込んでくれていて(「もしかして、天才?」のところとか、シュート決めた後挑発するところとか)、それがシラっとならない塩梅であって、ただただキャラクターたちが生きていて愛しい…。

 あと、思いついたことをそのまま書き連ねていて恐縮だが、海南大付属高校のメンツの気配がところどころにあって、私が好きな4番の牧紳一が存在する世界軸だと思うだけで本当たまらなかった。なんかあれ、恋してるけど遠い存在だから遠くで見るしかできず、同じ空間で息吸えるだけで満足なんです・・・のアイドルファンがライブ会場に行ったときの無我の境地みたいな感覚に近い。これ私の言っている意味わかる?

 挫折して自傷気味だった三井寿(顔が良い)の履いている靴がよくあるコンバースだったこと、「サラサラロン毛が気に入らねえ」と宮城リョータの三井に対するセリフを聞いた瞬間に「三井って髪質サラサラなんだ…」と、多くの新しい設定もわかり、SLAMDUNKの解像度が高まりました。あと山王工業高校沢北栄治のエピソードも良きで、気に入っているラストのセリフにグッときました。

 

2022/00/00

 本屋の新刊コーナーに遠藤周作の初期エッセイ「フランスの街の夜」があったので購入。なんか最近よく本屋の目立つある場所にあるな、と思っていたら今年生誕○年のようなきりのいい年のようで、いろいろ短編を中心とした新刊が出てるみたい。このエッセイまだ全部読んでないけど、読み進めていくと愛とか情熱について言及しているところが多数ある。西欧では典型的な男性理想の女性像は精神面では聖母マリアであり美的面ではヴィーナスであるが、偶像崇拝が薄い日本人はその基準的な理想像を持っていないので理想的な恋愛を掴みにくい状況である、とか、日本人クリスチャンの目線で書いてあって、へえ、と思った。

 あと大学入試の現代文では「文章の味」でなく「文章の意味」ばかり求める出題ばかりだと苦言していて、そもそも問題文がきたないからオイ出題者まずそこに注意をはらえ、と何度も書いてある。出題文章に多用されていたらしいから余計そう感じていたんだろうね。

 

 

2022/00/00

 ものぐさな女なので同じ洋服を何度も着てしまっている。気がつくと3年以上同じ服を着ていたので、これはかえって私の横を歩く人(不特定少数)が恥ずかしい思いをしているのでは、ということでコート含む冬服を新調した。ファストファッション店は種類やカラーが多すぎて自分で選ぶと毎回大失敗するので、毎回アパレル店員に一通りコーディネートを提案してもらって購入するようにしている。絶対に自分では選ばない服を試着して、生地の肌触りとかシルエットを確認しながらああだこうだ感想を伝えるので買うまで時間がかかるのだが、選んでくれた洋服は大抵買うので店員の売り上げには少額だけど貢献しているつもりで、その滅多にない金払いの良さは何に起因するのかは、洋服代というより親切な店員さんへのお礼の気持ちである。

 華やかな色の服に憧れて今まで何着か着てきたけど、なんだか着せられている気がするしウケないので、最近は「この服を着て気分上がるかどうか」と考えながら服を買うようになった。何かの本の受け売りだったと思うけど、そのとおり服を選んでいくとその日のテンションというか勝負度が↑↑な気がするので、そういった選び方をしている。すると家にある服がモノトーンやブラウンなど地味な色になった。自信が持てるというか、単に自分で見慣れているからその色を選んでいるのかもしれない。だけどフェミニンよりマニッシュめいた服のほうが好みで、なんとなくそっちのほうが「ぽい」ので、そこは自分の好みに寄せていこうと思った。