トマトは永遠のライバル

日常やムービーのことを書いています

2020年12月1日(火)〜12月19日(土)

横道世之介』というタイトルの小説を読みながら、自分の大学時代のことを考えていました。読みながらというか、本を度々閉じて考えていたんですが、バイトやサークルに熱心に取り組むこともなく、好きなときに好きな本を読んで、好きなときに家で勉強していた、わりと自由な生活を送っていたなと振り返ります。
「何してもある程度は許される時期」が人生のなか私には必要だったんだなとも思えてきて、小学生から高校卒業するまでは嫌な思い出が多かったから、大学時代は環境も友だちも本当に恵まれていました。

 

「女子大を卒業して仕事をしていたが、勉強したいことがあってこの大学に入学した」という年上の方が同期にいて、当時は28歳だったと思うのですが、入学した冬に彼女は交通事故で他界しました。入試が同じで学籍番号が近かった程度で親しかったわけではないのですが、やっぱり当時は衝撃で、「もし入学さえしなかったら」とか「あのときクルマに乗っていなかったら」とか「もう1時間早く帰宅できていたら」といった「もしも」のことを、不毛ということはわかっているし自分勝手なんですがグルグルと頭のなかで駆けまわっていました。「なにも死ぬことはないだろう…」と、集まった学生にその事実を伝えた際、教授が言ったその言葉は鮮明に覚えている。言っている意味がよくわからなかったので、音として思い出せるくらい覚えています。

 

彼女の年齢に追いついてしまいました。今年になってよく考えるようになっています。働いて生活しながらも入学金や学費を貯める、ということ自体かなりエネルギーが必要だし、今の自分の薄給では到底真似なんてできない。就職し始めてすぐにお金を貯めないと28歳で入学できないと思います。長期的な準備期間にめげない夢があったのかもしれません。私には今のところそういった具体的な夢がないから正直なところ羨ましく思います。個人的な夢の話までしていたのかは知りませんが、ある程度の個人的な事情を知っていたから「なにも死ぬことはないだろう…」という教授の言葉だったのかもしれません。

 

彼女のことを本当に何も知らないので、自分のなかで宙に浮いてしまった彼女の人物像はいつもいつも空中分解して結局謎のまま。けれど何かの夢か将来に向けて何か行動をしていた姿には素直に尊敬しているし、今後もその思いは変わらないはずです。彼女に関するなんらかの事実を知っている人がいて、私に教えてくれる時があったとしても、考えすぎて彼女がある意味で神聖なものになってしまったので、知る勇気が出ずに断ると思います。

 

人が死んでしまうこと、については映画をとおして一度文章にしたことがあるけれど、このことを言葉にするには、まだまだ時間がかかることだと思います。する予定ないんですが、今回『横道世之介』を読みながらどうしても考えてしまったので・・・・。