トマトは永遠のライバル

日常やムービーのことを書いています

部屋の本棚

私が今住んでいる部屋は物が少なくて年中寒い。

物を置いてなさすぎて白い壁がむき出し状態になっている。一人暮らしでお客さまや友だちも招かないから一人分の食器しか持っていないし、家具も単身用のちまちましたものばかり。掛け時計もないし観葉植物もない。金もない。そこで私は縮こまって暮らしている。

娯楽である本は図書館で借りて読むし、みたい映画があればレンタルショップへ行って旧作DVDをレンタルする。テレビも持っていないからDVDはノートパソコンのプレイヤーを起動して正方形のローテーブルの前にちいさく座ってみている。

 

部屋の隅に小さな本棚があるが、少数の文庫本と映画関連書籍が並んでいるのみで、全ての文庫本の背表紙は大学生のときに外して捨てたからクリーム色がむき出しになっている。ただ『映画秘宝』だけは定期購読しているからそこだけはカラフルになっている。奇抜な文字と色が並んでいるから部屋では浮いているなぁと思っているが、情報誌としても読み物としても大変面白いから手放せないまま30冊ほど並べられている。

度々、『筋金入りの○○』を目指して一つの分野の思想を鍛えるべく漫画やらDVDやらを買って並べたこともあったのだがすぐに飽きて売却した(飽きるというのは、その分野に飽きるという意味ではなく、それらを買い揃えようとする自分に飽きるということです)。うさぎのミッフィーが好きなのでミッフィーのぬいぐるみやカレンダーを本棚の上に並べようとしたこともあったのだが、何を思ってかミッフィーの財布を買ってしまった。買った次の日にディック・ブルーナが死んで吃驚した。そのままあらゆる収集を辞めてしまって今に至る。

 

その年中寒い本棚には、例えばディズニー映画のDVDやある作家の本やCD、または映画パンフレットなどいろんなものが仕舞われ、飽きられて姿を消すことを繰り返されてきたのだが、収集を辞めて落ち着いた本棚を改めてみると、『映画秘宝』以外は大学生の頃の本棚とほとんど変わっていなかった。

多少は本は増えているのだけれど、その好み自体は大学生の頃とあまり変わっていなくて、ああ私も社会人になっても思考は大学時代を通過した連続性のうえでなりたっているんだな、と最近少し安心したことがあった。

 

大学を卒業してから入手したもののなかで、ちょっと変わったものだなと思っているものはDVDの『ロッキー』だと思う。1976年公開のアメリカ映画。

知人にオススメされてほいほい鑑賞したのが2年前の秋頃。それまでは主演・脚本のシルヴェスター・スタローンは役者でなくアスリートだと普通に勘違いしていた。全然興味がなかった。ボクサーのスタローンが担ぎ上げられて『ロッキー』やら『ランボー』してるんだと思ってるほど興味がなかった。もしかしたら「ボクサーちゃうで」と言ってくれた人も居たかもしれないけど、興味がなさすぎて聞き流していたかもしれない。

 

だけど、鑑賞した前と後で、まるで自分が生まれ変わったかような感覚でみなぎった。泣いた。

『場末の三流ボクサーのロッキーが、世界チャンプのボクサー、アポロとの対戦相手として指名され、過酷な練習に耐えてリングで健闘する』というストーリーなのだが、ただのシンデレラストーリーと侮るなかれ、あのスリムなストーリーの中で展開される登場人物の人間模様が、無駄なく表現されているんです。

詳しい内容や感想はここでは書かない(まとめられる自信がない)けど、えらく感動してDVDを買って頻繁にみてる。

別に、落ち込んだときとか、明日大事なことがあるときとか、そういった自分を鼓舞させるためにみているわけではなくて、ロッキーが住むボロアパートの部屋のごちゃごちゃした感じをふと思い出して、みたくなるんです。鏡に貼られた写真や穴が空いたソファとか、ディテール自体がロッキーの性格や背景を表していると思うんだが、あの冷蔵庫を雑に開け閉めするところとか、起床して手探りでラジオを探し当ててスイッチをいれるところとか、そういった仕草が好きで私は何回も繰り返してみている。

多分、自分の部屋に生活感が全くないから、人間くさいごちゃごちゃしたロッキーの部屋をみて、人間臭さあふれる生活感を潤しているんだと思う。

だから『ロッキー』は本棚のすぐ取り出しやすいところに置いてある。背表紙が深い紺色で、上部にはアイコンのようにロッキーの傷だらけの顔と逞しい身体がプリントされているから浮いている。

ちなみに家にはあと『クリード チャンプを継ぐ男』と『東京物語』のDVDがあるのみで、これらはあまりみていない。けど思い入れのある作品なので手放す予定はないです。

 

それにしても、ロッキーも自室でよく鼻をすすってるから、あの部屋も寒いんだろうな。