トマトは永遠のライバル

岡山県在住。うどんにコロッケを浮かべて食べています。日常や本、ムービーのことを書いています。

松竹の二枚目スター・佐田啓二

 大学生の頃、小津安二郎監督の映画について調べる機会があり、当時現存していた約25作品を短期間でみることがありました。

カルチャーショックだったのは、映画の中の男性は自宅や汽車の待合室や会社の客室、美容院、あらゆるところでタバコをバカスカ吸っていたことです。タバコを片手に家族や友だち、社員と談笑している。喫煙に対して公私の区別はない。当時の日本は喫煙におおらかだったんだなあと思う。

 

小津監督は斎藤達雄笠智衆佐分利信とかある程度決まった役者を起用し続けるんだけど、1958年〜晩年の1963年まで、佐田啓二という二枚目俳優が出演してるんです。
佐田啓二さんは俳優の中井貴一さんのお父さんです(似てます)。さっき“二枚目”とさらっと書いたんだけど、言葉通りハンサムで、すっきりとした顔立ちと声色をしています。年をとったら独特の渋みも出たのかなと思うけど、交通事故で37歳で他界してしまうのでその姿をみることはできません。
とにかく素敵な俳優だから検索して画像か映像をみてほしいです。

 

けれど小津監督の映画のなかで、圧倒的二枚目を醸し出す佐田啓二は全く出てきません。
秋刀魚の味』での佐田啓二さんが得にそうなんですけど、庶民のサラリーマンなんですよね(とはいえ、小津監督の描く庶民は割とブルジョアなので庶民と一概には言えないのですが)。

 

私は役者のスターたらしめる要素って、その画面を支配できる人のことを指していることだと思うんですが、『秋刀魚の味』で、団地で夫婦二人暮らしをするサラリーマン役の佐田啓二さんのボヤッと何も考えていない姿は、そういう姿をしていないんです。全然画面を支配してない。でも他の映画では輝かんばかりのスター的姿をみせている。

 

でもちょっと考えると「何も考えていない」ようにみえるアクションって、かなり難しいんじゃないかなと思う。
無機質なカメラの視線を意識したとき、多くの人は自身の本来の素の姿から完全に切り離された状態になってしまうので、「何も考えていない」を意識して作ることは実は難しいんじゃないかと感じるんです。そしていくら「何も考えていない」演技をやったって、みる人は細やかな役者の仕草から意味を後付けしてしまう。

 

そんな「何も考えてない」姿を佐田啓二さんはやってるんです。
秋刀魚の味』で、団地の今に寝そべってプカプカとタバコの煙を口から出している場面とか(シチュエーションは忘れました。嫁役の岡田茉莉子さんに小言を言われているシーンだと思う)、特にそう思ってしまう。
その余白のような場面が、とてもとても印象深く残っています。

 

そう思っていたら、この前読んでいた内田樹さんも書籍でも同じようなことを書いていました。

 

今活躍しているたくさんの役者に対して、演技うまいなあ、かっこいいなあ、ととても思うんですが、そういった「何も考えてない」ができる役者って少ないんじゃないだろうか。

内田樹さんは織田裕二さんの名前を挙げていましたが、私は前田敦子さんの演技からそういった姿がみえる気がします。

 

それにしても、三船敏郎さんや池部良さん、仲代達矢さんの演技は視線から画面を支配しにかかってますね。
女性でいうと…ちょっと今は思いつかない、杉村春子さんや岡田茉莉子さん、京マチ子さんかな…。